平和と繁栄を築いた先人の努力に感謝
2020.08.12
来たる15日で、終戦から75年を迎える。先の大戦で犠牲となった方々を追悼し、今日の平和と繁栄を築いた先人の努力に改めて感謝したい。
今年の広島、長崎の「平和祈念式典」は、コロナ禍で大幅に参列者を絞った異例の開催となった。長崎で気付いたのは、例年行われていた被爆者代表による「もう二度と」被爆者をつくらないでという合唱が、メンバーの高齢化で取りやめになったことだ。
75年の歳月は、戦争の経験や記憶を直接語り伝えることを困難にしている。大半の人々が戦時下の経験のない中で、私自身もそうであったが、戦争の悲惨な結果や理不尽な経験を伝え聞き、見知ることで、その実相を感じ取ることができる。どんな正当化する理由ややむを得ない状況を並べ立てても、戦争をしないことが何よりと悟るのである。
平和といっても、「戦争をすればこうなる。だから絶対にしてはならない」と五体に染み込んだ信念を持つ人がそれを担っていくことが大切だ。
広島では5日、原爆遺構の「旧陸軍被服支廠」を訪れた。100年余り前に建てられた鉄筋コンクリート造り煉瓦(れんが)外壁の頑丈な建物で、軍服などを製造保管していた倉庫が4棟残っている。原爆にも耐え残り、直後「緊急救護所」となったが、多くの人がここで息絶えた。
語り部が少なくなる中で、被爆の実相を伝えるこのような遺構の価値は増しているように思われる。長崎でも「城山小学校の被爆校舎」が国の史跡に指定され、多くの人が訪れるようになった。
忘れたい記憶を語らず、思い出させる遺構を消し去りたいと思う人が大勢いた時代もあった。しかし、これからは、原爆遺構はもちろん、全国にある戦争遺構や証言の記録、画像や映像などの客観的な資料を後世に残し、伝え、知ってもらう努力が必要だと思う。
中国の「尖閣侵入」は毅然と冷静な対応を
コロナ禍で外出もはばかられるお盆どきを迎え、気になるのが日本の固有の領土である沖縄県「尖閣諸島」周辺海域である。中国海警局の公船が連日のように接続海域を航行し、時々、領海侵入を繰り返している。
近年、「尖閣諸島は中国領」だと主張し始めた。解決すべき領有権の問題は存在しないとする日本が有効に支配する現状を、一方的に力で変更しようとするかのような振る舞いを重ねている。
16日の禁漁解禁後には、大量の中国漁船が押し寄せるとの見方もある。2010年に中国漁船が海上保安庁の巡視船に衝突し一機に緊張を高めたことを思い起こしながら、毅然(きぜん)と冷静に対応しなければならない。
茂木敏充外相は先月29日、中国の王毅外相と電話会談を行い、尖閣諸島周辺海域等海洋分野の課題を提起し、中国側の行動を強く求めた。その後、中国公船は引き上げたが、台風が去った後、またこの海域にやってきた。
中国側には、引き続き外交ルートを通じて行動を求め、大局的に首脳の往来ができる環境作りに向けた努力を促す必要がある。
(公明党代表)
【2020年8月11日(10日発行)付 夕刊フジ掲載】