三宅島復興支援写真集
2019.02.21
三宅島復興までの歩み~全島避難から帰島までの写真記録~
2000年6月に「三宅島噴火災害対策本部」の派遣隊として三宅島を被害調査に訪れてから、2005年の帰島を前にした事前調査に至るまで復興支援活動を続けてまいりました。復興の記録を写真で紹介致します。
三宅島 滞在型帰島開始 (’03.4.18)
脱硫装置のついた一時帰島者用宿舎 (’05.7.21)
竹芝で三宅島へ向かう船の前で(’03.4.18)
満潮で水没する坪田漁港の 堤防かさあげ工事(’05.7.21)
滞在型帰島の期待と不安を語る(’03.4.18)
三池地区にも火山ガスに強い植生が回復してきた(’05.7.21)
滞在型帰島の第一陣で舟に乗り込む島民の方々を見送る(’03.4.18)
過去の噴火で溶岩流に潰された 阿古小学校(’05.7.21)
雄山からの噴煙が絶えない三宅島(’04.9.18)
郵便切手の寄付金で提供された 車両が村役場で活躍(’05.7.21)
三宅島を訪問 明け方に到着した (’04.9.18)
よみがえれ三宅島イベントに 集結した三宅島の漁船(’05.7.21)
三宅牧場で白骨化した牛を弔う (’04.9.18)
錆が浜漁港での観光イベント (’05.7.21)
三池港付近の自動車置き場で (’04.9.18)
視察した北側国土交通大臣を見送りにきた 浅沼功一郎村議(’06.3.20)
三宅島三池港 (’04.9.18)
復興過程の展示を視察する北側国土交通大臣(’06.3.20)
火山ガスの甚大な被害が著しい 三池地区遠望(’04.9.18)
昭和37年の噴火で出来た三七山(’06.3.20)
枯死したかに見えた木の根元から 新芽が(’04.9.18)
気象庁三宅島観測所を視察する北側国土交通大臣と(’06.3.20)
白骨化した樹木の覆われる 三池地区(’04.9.18)
被害の厳しい三池地区を視察する北側国土交通大臣(’06.3.20)
昭和年の噴火で溶岩に呑まれた 阿古小学校(’04.9.18)
三宅島の復興事業も道路のよう壁に及んできた(’06.3.20)
唯一の特別養護老人ホーム 「あじさいの里」(’04.9.18)
脱硫装置のついた避難施設を視察する北側国土交通大臣(’06.3.20)
三池地区の火山灰に埋もれた自動車と果てた住宅(’04.9.18)
錆が浜に入港するさるびあ丸(’07.2.7)
火山灰が取り除かれた 三池地区の住宅と自動車(’05.7.21)
錆が浜港沖から見た三宅島・雄山(’07.2.7)
坪田漁港付近に捨てられたゴミの山 (’05.7.21)
錆が浜港に停泊するさるびあ丸 活気が徐々に戻って来た(’07.2.7)
坪田中学校の校庭に放置された 避難時の家庭ゴミなど(’05.7.21)
残念ながら不慮の事故で急逝された浅沼功一郎議員葬儀(’07.2.7)
火山ガスのこない場所に新築した 空港施設(’05.7.21)
全島避難時に乗り捨てられた 三池港付近の車両置場(’05.7.21)